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[1] 邪馬台国への渡航ル-ト
お名前:小林 須佐男

【渡航至難の対馬海峡】
推進力の弱い古代船では、最短距離である対馬海峡を渡航するには、とても至難。朝鮮半島南沿岸から出航すると、対馬暖流に流され隠岐国・出雲国地方、時には能登半島あたりに漂着する。
従って、帯方郡・楽浪郡から倭国への遣使は朝鮮半島東沿岸の“迎日湾“辺りから、南下する寒流のリマン海流と対馬海流そして季節風に乗って隠岐国を経由のうえ東出雲・邪馬台国に到達する。この古代からの“出雲航路”が最も
安全かつ自然であり難破遭難の少ない“視達距離航法”であった。

後世(大業四年・西暦608年)の『隋書』倭国伝に登場する煬帝の答礼使裴世清と小野妹子たち一行も倭国と隋国都・大興城への往復は“出雲航路”を渡海したと言える。
また、天智7年(西暦668年)以降も日本からの遣唐使(留学生・僧)は“出雲航路”にて新羅国(朝鮮半島東沿岸)経由のうえ長安(現・陝西省西安市)へ派遣している。
何故なら、朝鮮半島の黄海側の中西海岸以南と南海岸はきわめて複雑な海岸線。数千の島が点在の多島海であり、西海岸の潮差が大きい。中部の京畿湾(潮差8~10m)南の群山(潮差6m)と航行には至難であろう。

対馬海峡は比較的距離のある海峡で海流も強く、素人が船を作り渡ろうとしても、山陰沿岸に漂流され遭難の可能性があり現代人が挑んでも同じ結果になると言える。邪馬台国論争で対馬海流は常に東北に流れていることを前提に論ずる方がいるが、多分それは潮流ではなく海流のことを言っている。潮流と海流の区別もつかず邪馬台国論争を語れば、もう対馬海峡を渡る最初の“要”で間違っているのだから、せめて対馬海流とリマン海流のことは調べておく方が良いと思う。

2013年7月31日 小林 須佐男


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